パウダーパフレーシング・ミニで使用しているこのツナギは
昨年暮れ、クシタニ西宮店の小林さんに無理をお願いして
作ってもらったもの。
GSX-R1000で着用している黒黄ツナギは
鈴鹿4時間耐久レース第1回大会の時のレプリカで
この赤白は、2回目の4時間耐久レースのレプリカ。
堀ひろ子さんと参戦した1980年の第1回鈴鹿4時間耐久レースは
堀さんのタイムで、TTクラスポールポジション、私は2秒落ちだったので
無事にチェッカーを受けることが出来たら、クラスの表彰台も狙えるかも・・
と、周囲の期待も大きかったが、決勝3周目で転倒炎上リタイヤ、
私は1周も走っていなかった。
黒黄ツナギには、鈴鹿に置いてきた、そんなちょっぴり悔しくて
苦い想いが込められていた。
2006年、岡山国際サーキットのモトレルネッサンス最終戦で
レース復帰、モトレボリューションに名前が変わり、
2008年、GSXーR1000に乗り換えたときから着用し、
オープンチャレンジクラスで何度か表彰台に上げてもらうことが
出来た。
サーキット出会う友人達と前夜祭で盛り上がり、
ピットではライバルとワイワイおしゃべりし、
レースでは真剣勝負。
悔しくて苦い想いは、このツナギとともに、楽しい思い出に
コンバートされた。
18年間のブランクを経て、2004年にバイクにリターンしてから
バイクに乗ると思い出していたのは堀ひろ子さんのこと。
古い写真や雑誌を引っ張り出してページをめくると
堀さんとの思い出が溢れ出し、彼女にもらった有形無形の
宝物の数々が広がる。
赤白のツナギは1981年当時、堀さんと私、二人並ぶと
シンメトリーになるデザインだった。
昨年作ったレプリカツナギのデザインはあえて
赤いラインが左肩から右に下がる、堀さんのものにした。
右の34年前のツナギと並べるとシンメトリーに
なるように。
自らチームを立ち上げた3年前、チーム名は別のものに
決めていた。
しかしその数日後、飲み会からの帰りの終電に揺られ
うつらうつらしていた時に、
「パウダーパフレーシングにしなよ。」
と、あの独特な鼻づまりの声が聞こえた。
まぎれもない、堀ひろ子さんの声だった。
4月30日は彼女の命日で、
今年はちょうど30年目にあたる年である。
今年はまだお墓参りに行けていない。
近いうちにまた、おしゃべりしに行ってこようと思っている。